FC2ブログ

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  編集  |  Top↑

2012.08.23 (Thu)

想い出海岸

先日、職場の夏季休暇を利用し、
茨城のひたちなかや大洗の方に家族旅行に行った。

夏のひたちなかや大洗と言えば、
阿字ヶ浦海水浴場大洗サンビーチなどの海水浴場が有名だ。

本当ならば、阿字ヶ浦で子供達と海水浴を楽しみたかったのだが、
あいにく下のムスメの体調が芳しくなく断念。


実はこの阿字ヶ浦海岸は、若かりし頃(二十歳前後)、
当時の遊び仲間や、お付き合いしていた女性などと夏場によく遊びに行った想い出の地。

懐かしい昔の想い出を辿りたくて、
家族にこっそり(笑)早起きし、早朝の阿字ヶ浦を散策した。

早朝でまだ人気の少ない阿字ヶ浦海岸
rps20120823_111004_735.jpg

砂浜を歩いて気付いたのは、
何だか砂浜の奥行がとても狭くなっていた事。

rps20120823_111137_790.jpg

そして、当時と比べて波が格段に穏やかになっていた事だ。

rps20120823_105355_737.jpg

確か、当時は波乗りが出来るくらい波が高かったような…

宿泊した地元宿の人に尋ねたところ、
隣接地に建設された「常陸那珂港」の影響で、潮が変わってしまい、
砂浜がかなり浸食されてしまったらしい。

現在は、沖に作られた堤防の効果で、浸食は治まっているいるとのこと。

波が穏やかになったのは、その堤防の効果ではあるが、
そのせいで、サーファーの利用者が激減してしまい、
嘗ては大洗ビーチをしのぐ賑わいだったのが、すっかり寂しくなってしまったそうだ。

「まぁその堤防のおかげで、東日本大震災の時に津波の被害をほとんど受けずに済んだので、
あまり恨みごとも言えなくなっけどねぇ」

と複雑な表情で語っていたのが印象的だった。

そういわてみれば、当時は海水浴場の端から端までびっしり隙間なく建っていた海の家が、
4、5軒建っているのみで、閑散とした雰囲気。

海側
rps20120823_105435_706.jpg

裏側
rps20120823_105516_289.jpg

早朝だったので海水浴客が殆ど居なかったが、
気になって昼間も行ってみたが、シーズン終盤とはいえ、
やはり寂しい客足のようだった。

寂しげな海岸通り
rps20120823_105600_782.jpg

rps20120823_105632_977.jpg

かつては「東洋のナポリ」と謳われた阿字ヶ浦海水浴場。

遠望は昔とあまり変化はないように見えるが、
時代と共に環境は劇的に変わってしまった。

rps20120823_105705_673.jpg


想い出は想い出のままにしておいた方が、
美しく残るのものなのかもしれない…


最後に、
松任谷由美の歌「カンナ8号線」の歌詞の一節を引用して、この記事を閉じたい。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


チェックのシャツが風に膨らむうしろ姿を

波をバックに焼きつけたかったまぶたの奥に

それははかない日光写真 せつないかげろう

胸のアルバム閉じる日が来るの こわかったずっと

雲の影があなたを横切り…


想い出にひかれて

ああここまで来たけれども

あのころの二人はもうどこにもいない


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



時の移ろいは儚くあっけない…



想い出海岸  おわり
スポンサーサイト
11:45  |  忘れ得ぬ風景  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)  |  編集  |  Top↑

2012.07.03 (Tue)

忘れ得ぬ光景

長男(10歳)の頃から、現在お世話になっている娘(6歳)へと、
10年の長きに渡りお世話になっている地元公立保育所。

rps20120703_080421_389.jpg


昨年秋の台風では、屋根が捲れてしまったりと、
園舎の老朽化が著しく課題となっていた中、
ようやく昨年から着工した新園舎の建設工事が先日竣工した。

それに伴い、今の園舎とは来週いっぱいでお別れし、新園舎に移る。

子供達は、新しく綺麗なトコロへのお引越しなので、
ウキウキワクワク嬉しそうだ。

勿論我々保護者も、耐震対策の施された建物の方が安心だし、
台風やゲリラ豪雨の度に心配する事も無くなり、良い事ではあるのだが…

反面、日々の送り迎えや運動会、遊戯会など、
足掛け10年、折りにつけての記憶を振り返ると感慨深い。

楽しかったプールや
rps20120703_080514_402.jpg

ワイワイ賑やかだった廊下
rps20120703_080623_456.jpg

想い出が沢山詰まった部屋
rps20120703_080543_595.jpg



昨日は、自分が娘のお迎えの担当日で、この園舎での最後のお迎えの日となった。

昨晩は、そんなことなど振り返り、
忘れ得ぬ沢山の想い出の光景をたぐって想い出酒を飲んだ。

何だか少し切なかった。



時の移ろいは儚くあっけない…


17:39  |  忘れ得ぬ風景  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2012.04.15 (Sun)

風景 純銀もざいく 

荒川に架かる、荒井橋の少し上流の右岸土手の風景。

rps20120413_140215_909.jpg


この景色を見ていたら、むかし教科書か何かで読んだ、山村暮鳥の詩「風景 純銀もざいく」をそこはかとなく思い出した。

風景 純銀もざいく 山村暮鳥

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしゃべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。

rps20120413_140125.jpg


rps20120413_140237_588.jpg


詩のごとく、「いちめんのなのはな」のリアルリフレイン。

今なら、ここで出会える。


より大きな地図で 吉見町久保田新田周辺(荒井橋上流) を表示
11:00  |  忘れ得ぬ風景  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2012.02.14 (Tue)

忘れ得ぬ風景 40年来の記憶違い(番外編)

過日、子供の写真を整理しようとクローゼットを掻き回していたら、
自分の子供の頃のアルバムを出土した事は、前前記事で話したとおり。

今回も、古いアルバム関連の懐古ネタ。

ちなみにこの記事は「他人様」が読んでしまうと、
「超どうでもいいネタ」を含む(ほとんど)ので、
興味のない方はスルー推奨(笑)

古いアルバムをパラパラ眺めてるうち、
こんな写真を見つけた。

幼少の砌(昭和44年~46年くらい)、通園していた、
桶川ときわ幼稚園の遠足のスナップ写真。

スナップ①
rps20120213_111859.jpg

スナップ②
rps20120213_111945_759.jpg

モノクロってのが時代を感じさせる(笑)

それはさて置き、いつからか定かではないが、
「記憶」という概念に目覚めた頃から、
この遠足の場所は、昭和48年に僅か9年の営業で閉園してしまった幻の遊園地

「朝霞テック」

だとずっと思っていた。

しかし、このネタを記事化しようと、ネットでアレコレ調べているうち、
ある動画に出会い、
記憶という概念に目覚めた頃からの遠足の記憶が、
恐らく40年くらい前と思われる、記憶という概念に目覚めた頃以来、
ずっと記憶違いをしていた事が判明する。

って、う~ん、何だか無駄にややこしいな…

要は、40年来「朝霞テック」
だと思いこんでいたら、
実は「ユネスコ村」だった。
それを偶々見つけた動画で知ったのだった。

というお話。

下の、 「昭和41年当時のユネスコ村の動画」の中盤に、
スナップ②の、クラシックカーの乗り物が出てくる。

それによって、スナップが「ユネスコ村」で撮影したものであると確信した。

どこでどう記憶がすり替わったのか…

人の記憶なんていい加減なものだ。

あ、自分の記憶力が悪いだけか(笑)

昭和41年当時のユネスコ村



参考までに、 「昭和41年当時の朝霞テック」の動画も貼っておく。

同世代或は少し前の世代で、
両遊園地に行った事のある方なら
「想い出」という記憶を懐かしむ事が出来る。

昭和41年当時の朝霞テック


「朝霞テック」「ユネスコ村」、いづれももう、
縁のあった人たちの記憶の中でしか存在し得ない幻の場所。


想い出という記憶は消えないが、
想い出の場所が消えてしまうのはやはり寂しい。


時の移ろいは儚くあっけない…


17:05  |  忘れ得ぬ風景  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

2012.02.09 (Thu)

忘れ得ぬ風景 昭和50年頃の桶川駅東口

昨日、子供の写真を整理しようとクローゼットを掻き回していたら、
自分の子供の頃のアルバムを出土(笑)した。

懐かしさに任せパラパラと捲っていると、
古いアルバムのは、
ブログの懐古的なネタの宝庫だということに気づいた。

お宝ネタの数々は、追々順次記事化していくとして、
とりあえず今回は地元桶川の懐古ネタを一題。

パッツンパッツンの半ズボンや、
お揃いのテンガロンハットや自分(右)の美脚っぷり(笑)など、
ツッコミどころはさて置いて、
先ずは兎に角画像を見ていただきたい。

rps20120208_133907_338.jpg

古くからの桶川住民なら、
現在の橋上化される前の駅舎を、
記憶されている方も多いのではないだろうか。

上の写真は、その橋上化前の桶川駅東口。

小学校5、6年生頃の写真なので、
昭和51~2年頃の撮影と思われる。

確か橋上化されたのは、自分が高校生の頃だったか。

橋上化された現在 同アングルから撮影rps20120209_115147_735.jpg


橋上化される前は、改札は東口にしか無く、
西口から電車に乗るには、写真左寄りの横断橋を渡って、
一旦東口に来なければならなかった。
横断橋を降り、売店
(鉄道弘済会からキヨスクに呼称が変わったのもこの頃?)を
横目に見ながら改札に向かった。

東口側は、中途半端にロータリーが整備されたくらいで、
それほどドラスティック な変化は無いが、
西口側は今の状況からは想像つかないくらいの変化があった。

現在の西口のランドマークたる、
おけがわマインや市民ホール、
若宮パークタウンは勿論まだ存在すらしていなく、
その場所の当時の西口は、件の横断橋を降りると、
いきなり三井精機の工場が無機質に存在しており、
現在の三井住友銀行桶川支店付近には、
引き込み線の名残があったのを記憶している。

嘗ては鉄道が主な運搬手段だったろうから、
当時は駅周辺に工場がセットで存在するというケースは、
珍しくなかったのだろう。

当時の様子は、国土地理院の国土画像観覧システムの、
昭和49年の航空写真でも確認できる。

昭和49年航空写真(ほぼ中心が桶川駅) 西口の三井精機が目を引く
コピー (3) ~ ckt-74-15_c1a_11

同じ地点の現在の航空写真 三井精機跡には、マインや若宮パークタウンが出来た

より大きな地図で 桶川駅周辺 を表示



こうして当時と現在を比較してみると、
駅周辺は勿論、桶川市内の変遷が見てとれて面白い。



それはそうと…

あぁ、あの頃に戻りたい…




17:08  |  忘れ得ぬ風景  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)  |  編集  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。